2017年11月06日

2017年11月号 『愛のよろこび』を読む 1

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橋 聡


 前回まで「『福音の喜び』を読む」を連載していましたが、今回それを中断して、教皇様の新しく邦訳された使徒的勧告『愛のよろこび』を連載しながらご紹介することにします。この手紙は、家庭に関する二つのシノドス(世界代表司教会議)を受けて全教会に向けて書かれたものですが、いままでは、センセーショナルなことしか取り上げないマスコミからの情報が先行して、家庭についてのシノドスの全体像が分かりませんでした。が、教皇様のこの手紙によって現在のカトリック教会の家庭に関する司牧の方向性がはっきりするわけです。家庭は、わたくしたち日本に住む者にとっても緊急性のあるテーマですので、少しずつ本書を読みながら、それがわたくしたちにとっての糧になればと願っています。
 教皇様の御意図は、まず、今の家庭の状況に性急に結論を出したいという誘惑を自制するようにというところに向けられているようです。カトリック教会はキリストから真理を託されているわけですが、しかし現在の私たち一人一人が、すべてを細部まで見通しているわけでもないということではないかと思います。だから結論が出るまでに時間の経過や、経験、判断力の深まりなどが弱い私たちには必要なのでしょう。「このことは、聖霊がわたしたちを完全な真理に導くときまで、すなわち、わたしたちがキリストの神秘に完全に導き入れられ、キリストのまなざしですべてを見られるようになるときまで続くことでしょう」(3)。
 まず、聖書とカトリックの教えが述べられます。
 第一章では、聖書のみことばが味わわれます。最初に結婚と夫婦に関する根源的な創世記のみことばが3つ提示されています。「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1:27)。「自分に合う助ける者」(同2:18,20)。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(同2:24)。
 これらの御言葉に簡単な省察が加えられています。神の似姿に対比されるのは、一組の男と女の姿であり、愛し合い、いのちを生む夫婦は、創造主であり救世主である神を表すものになりうるということが示されます。(つづく)
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2017年10月02日

巻頭言 10月号         池長大司教

 
8月の終わりから9月のはじめにかけて、大阪教区の司祭の黙想会があった。
 
この黙想会のために、イエズズ会の平林神父様が指導をして下さった。
上智大学で教父の教えを講義しながら、四谷のイグナチオ教会でも司牧をしておられる。黙想のための講和を聞いていても、神学的な知識の深さや豊かさが感じられる。私もさまざまな示唆を頂いた。やはり、淡路島の教会で働いていると、世の中の動きも教会の中の出来事も、つい疎遠になってしまいがちになる。その点からも、平林神父様との出会いは、非常に助けになった。
今回の場所は梅田教会であったが、いわゆる黙想の家と比べると、神様と静かに一対一で向き合うためには、やや難しかったと言えるかもしれない。自室がハートンホテルの部屋であったので、黙想の家の個室と比較すると、少し座って黙想するためには、普通のホテルの部屋の床に正座することになり、何となくしっくりしないものがある。けれども、ゆっくり個人的に祈れる時間があり、日常あわただしく過ごしている者にとって、喜ばしい時を持つことができた。雑ごとに振り廻されることなく、もっぱら神にのみ向かう時が持てるということは、司祭にとって、この上なく貴重な時である。
霊的にリフレッシュできて、とてもよかった。司祭にはこのような時が必要である。

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2017年09月07日

『 2017年9月に想うこと 』

 『 2017年9月に想うこと 』

                        
担当司祭 申 繁時




残暑がきびしい夏がつづく中、9月に想うことを分かち合いたいと思います。

この西ブロックに派遣されて2年目の夏をむかえました。2年目に人事が働き、後藤神父さ
まが移動になり、司牧者3人態勢で4つの小教区を担当いたします。薄々そのようなことは
考えていましたので、さほど驚きはありませんでしたが、なんせ信徒数1500人級の中規模
以上の小教区があるブロックなので、少しずつプレッシャーも感じていました。しかし、
実際は主日ミサには多い時で200人前後の方々しか来られないことも事実なので、5分の1
の信者の方々とミサを捧げます。確かに日曜日も忙しい世の中ですからミサどころではない
のかもしれません。フッと感じました。あとの5分の4はとこにいるのか?と。皆さん方はと
こでどうしているのかと考えました。

「99匹の理解ある羊たちを残して迷う1匹を探しに行くことではなく、1匹の理解ある羊を残
して戸惑う99匹を探しに行く時代」なのかもしれないと思うのです。
信仰生活のきっかけは様々です。それは、神さまからの直接的な呼びかけですから。キリス
ト者としての召命ですから。イエス様の弟子としての生き方ですから。
けれど順調にはいかない世の中の価値観とのせめぎ合いの生き方でもあります。
難しい世の中、難しい生き方が付きまとうことでもあります。
しかし、だからこそ戸惑う99匹を探すことは大きな意昧がある時代とも感じます。

私は現在垂水教会に在佳しています。この春から新しい評議会になり心磯一転の状態です。
その中で、垂水教会の1年間のテーマを評議委員の皆さんで考えました。
そして、「つながろう」をメインテーマとして、副題として「息子よ 娘よ 心のふるさと・
垂水教会におかえり(天の父より)」となりました。実はこの副題は私が提案させて頂きまし
た。採用されるかしないかではなく、今の教会共同体に対する素直な気持ちを言葉にしたか
ったことと、祈り自身ともつながると考えたからです。どんなに離れていても心でつながっ
ていることは本当ですし、心をひらけば神さまが共にいることが分かるからです。そして、
教会に来れば、自分の居場所かおるということです。「心のふるさと」があります。
もう一度。神さま、イエスさまのもとに集まり、素直な気持ちで信仰生活に生きて欲しいと
願います。小教区が主日ミサにおいて聖堂にいまいりきれない程のイエスさまの弟子たちで
いっぱいになることをめざしたいのです。

そのためにも、同じ教会共同体の仲間たち(戸惑う99匹の羊たち)のためにお祈りくださ
い。そして、いつでも帰ってきた時にはほほえみながら「おかえり」と両手を広げて迎えて
あげたいのです。

posted by カトリック明石教会 at 16:36| Comment(0) | 巻頭言