2019年07月13日

2019年7月

知恵を得る方法                           グイノ・ジェラール神父

 マクシムと呼ばれていた信仰の篤い人は、世間のうわさ話を避けるために森の外れの小さな小屋に住んでいました。 その小屋の近くに森に通じる小 道がありました。 村の人々はこの小道を散歩したり、道端に咲いている花を 摘んだり、森の中に木苺やキノコを探しに行きました。 マクシムは小屋の窓から小道を歩いている人々を見ていました。 すると、彼らは歩きながら大声で話しをしていました。 その話の内容が聞くつもりは無かったのですが、聞こえてきました。 マクシムは初めのうちは、聞こえたことや見たことについて笑ったり、腹を立てたりしていましたが、段々自分のこのような反応を抑えられるようになりました。

 マクシムは色々な場面を見ました。 たとえば、祖父の手を握って、ゆっくり傍を歩く少年を見ました。 また自分の母親に向ってとても失礼な言葉を使っている少女、恋人同士の尊敬し信頼し合った態度、おばあちゃんの背中におんぶされた小さな赤ちゃん、夫婦喧嘩をして地団駄(じだんだ)を踏んでいる人も見ました。 マクシムはこれらの見たことや、聞いたことを誰にも話さずに、ただ自分の心に思い巡らすことを習慣にしていました。 そしてゆっくりと落ち着いて、これらの人々の態度や考えについて黙想し、自分の祈りの土台に加え執り成しの祈りの材料としていました。 見たことや聞いたことが無駄にならないように、全てを神の目で見、神の聞き分ける耳で聴くようにしていました。 やがてマクシムは知らない内に段々と賢く賢明になってきました。

 世界に起こっている出来事、人々の日常生活の問題、幸せな事などは、マクシムの耳に毎日聞こえて来ました。 しかし何かを見ても、何かを聞いても、マクシムはそれを心の奥底に納めていました。 「私は絶対に間違っていない」「私はこの人の失礼な態度を決して許しません」「この人の考えはとてもおかしい」と言ううぬぼれや自慢の言葉であっても、あるいは苦情や不満の言葉であっても、マクシムは聞いたことを大切に自分の心に納めていました。

 信仰の篤いマクシムは、忠実に毎週日曜日にミサに行きました。 ある日、彼の主任司祭は彼に「マクシムさん、あなたはいつも一人でミサに来ますね。 そして誰にも声をかけません。 ミサ中は口を閉じたままで聖歌は歌わないし、皆で唱える祈りにも口を開きませんが、どうしてですか」と尋ねました。 「神父様、神は私の心の中にあるものを全部ご存知です。 ですから、それを公に出す必要はありません。 ちょうどスポンジが水を吸い込むように、私の心も実生活の中で見聞きすることが、良いことであっても悪いことであっても、自然に吸い込むのです。 私は一人になって静かに、神の前で神から受けた恵みの整理をします。 良いものは賛美と感謝の祈りとなり、悪いものは憐れみの叫びや執り成しの祈りに変化させます。」 それを聞いた主任司祭は驚いて、自分の目の前に聖書が語る「知恵のある人」が立っていると直ぐに理解しました。 この主任司祭は、次の日曜日の説教の中で中国の哲学者の老子の言葉を借りて「知る者は言わず、言う者は知らず」(知者(ちしゃ)不言(ふげん)、言者(げんしゃ)不知(ふち))と言って、マクシムを褒めました。

  確かにうわさ話やお喋りは知識を与えるよりもトラブルを増やすだけです。 「自らの心と語り、そして沈黙に入れ、主により頼め」(参照:詩篇4,5)と勧めています。 「言葉が多ければ空しさも増すものだ」(参照:コヘレト6,11)とも言われています。 私たちにとって反応せずに黙ることは至難の業(わざ)です。人はどうしても全てについて自分の意見を表したいからです。 何も言わずに聞くこと、何も反応せずに見ることは、知恵の泉になることです。 私たちが聖母マリアに習って全てを静かな心で思い巡らし、それを賛美と感謝の祈りや人々に役に立つ豊かな執り成しの祈りに変化させることは肝心で大切な務めです。そうすれば、ここから心の知恵が湧き出るに違いありません。
posted by カトリック明石教会 at 18:39| Comment(0) | 巻頭言

2019年06月06日

2019年6月

はじめまして!

林和則神父


 復活祭後に神戸西ブロックに派遣されてまいりました、大阪教区司祭のヨゼフ林和則です。1999年3月に池長大司教様から、司祭叙階の恵みを受けました。
 生まれは東大阪市の布施です。私は20歳の時に玉造教会で、さかばやし神父様から洗礼を受けました。私が洗礼を志した最大の動機は私が在日朝鮮人の三世(現代は韓国籍です)として生まれたことでした。多感な青少年期にその出自に苦しみ、受け入れることができませんでした。私は日本人はもちろん、朝鮮人として生きることもできず、故郷を持たない根無し草のような疎外感に陥っていました。「私は何者なのか?」という問いに苦しみました。その時、さまざまな出来事、出会いを通して、モーセのように「私はある」という神に出会い、その神の中に私のアイデンティティを見い出すことができました。今では私は自分は「キリスト者」であると断言することができます。同時に自分の出自も受け入れることができました。すべては神が私をご自分のものとされるためのご計画であったのだということが実感でき、感謝しています。
 25歳の時に「司祭になりたい」という思いを頂きましたが、その時は教区ではなく、青少年教育を使徒職とするサレジオ会を志し、東京の調布市にあったサレジオ会の神学院に入りました。その後、志願期、修練期、哲学期、中間期、神学期と過ごしましたが、助祭になる寸前に進路に迷い、最終的に教区に移って助祭叙階を受け、1年間のフィリピン研修を経て、司祭叙階を受けました。いささか紆余曲折を経た神学生時代でしたが、私のような者が司祭になるためには、あれぐらいの時間が必要であったと思っています。またサレジオ会には心から感謝をしていて、サレジオ会を経て教区司祭になれたことも神のみ旨であったと感謝しています。
 そして今、神戸西ブロックに来て、垂水教会を担当することになりました。来て間もないですが、垂水は各委員会がそれぞれの役割をしっかりと果たしていて、講座も多く、信徒の方がたが熱心に信仰の道を歩まれている、すばらしい教会だという印象を受け、また「神に感謝!」です。
 よろしくお願いします。
posted by カトリック明石教会 at 21:35| Comment(0) | 巻頭言

2019年05月26日

2019年5月

                             
中川 明神父


「夢だったら、いいのにな」と呟き、男性は数日後に亡くなりました。
定年退職後、ガンが急速に進行したのです。
死の恐怖は私もありますが、よく見つめると、恐れだけでなく、深い悲しみがあるのに気づきます。「悲しい」とは「愛おしい」に通じ、何かが愛おしく悲しいのです。
一年ほど前、思いがけない人から電話がありました。長い患いの時を過ごしていて、その後の病床からの電話でした。数か月後に亡くなりましたが、今でも、よく、彼のその時のことが頭の中を流れます。30歳代、同じ夢を見て、よい時間を共に過ごした友で、夢は実現しなかったけれど、生き生きと過ごした時間は、かけがえのないものでした。彼の最後の言葉は、その「かけがえのない時」を思い出させ、それを味わい、そして、今、もう二度とそれを味わえないのが、悲しいのです。「夢だったら、いいのにな」との呟きは、男性が出会った人々との深い交わりへの愛おしさと、それを失う悲しみであったかもしれません。
神は、私たちを愛おしまれ、私たちの悲しみを掬い上げられると言います。この「よい方」の善さに委ねたいと思うのです。
posted by カトリック明石教会 at 16:54| Comment(0) | 巻頭言