2016年01月09日

2016年1月号「主のご降誕と新年の御慶びを申し上げます」

「主のご降誕と新年の御慶びを申し上げます」

後藤 進 神父


皆さま、おめでとうございます。お一人お一人にとって、皆様のご家庭にとって、神様の恵みといつくしみに満たされる良い年であることをお祈りいたします。
 今年は“いつくしみの特別聖年”です。フランシスコ教皇は去年4月11日、神のいつくしみの主日前晩、特別聖年の大勅書を発され、それは12月8日無原罪の聖マリアの祭日に開年されました。教皇様はその日を選んだのは第Uバチカン公会議閉幕50周年目に当たる日だからだと述べておられます。そして今年の11月20日王であるキリストの祭日のミサを以って閉年になります。教皇様は「わたしたちは何よりもまず、この特別な恵みの時を与えてくださった三位一体の神への感謝と賛美の思いを抱くことでしょう。わたしたちは教会の生命と全人類そして広大な宇宙を、キリストの支配にゆだねるのです。そうすれば近い将来、すべての人の手による豊かな歴史が作られるようにと、キリストがそのいつくしみを露が降りるようにもたらしてくださるからです。神の優しさと温かさを届けつつ一人ひとりと出会えるよう、これからの年月がいつくしみに浸ることを、わたしはどれほど願っていることでしょう。信じる人にも信仰から遠く離れた人にも、すべての人に、すでにわたしたちの間にある神の国のしるしとして、いつくしみの芳しい香りが届きますように。」と書いておられます。
 聖年とは旧約聖書にあるヨベルの年のことです(レビ記25章)。聖書の民がエジプトの奴隷状態から解放されて自由の民となり、シナイ山の麓で神の民となる契約を神と結び、十戒を授けられ、荒野の旅を経て、約束の土地に入って自分たちの社会を築き上げる時に、神からの律法として守るべきものとして安息年がありましたが、それは7年目毎の休耕年で、でもそれは単に田畑を休ませる休耕年だけではなく、不幸にして借金をしてしまった人の借金が無償で許される年、奴隷として身を売らざるを得なかった人が自由の身として開放される年でもありました。さらに神は安息年を7度数えた年の翌年、50年目の年をヨベルの年と名付け、約束の土地で自分の所有として与えられた土地を不幸にも売らねばならなかった人がこの年が来ると無償で土地を返却される制度を律法として定めました。これらはひっくるめて安息の律法と呼ばれていますが、聖書の民が築く社会で社会の片隅に追いやられる人々が、社会の、国の正当な一員としてまっとうに生きてゆけるようにとの神の計らいです。神の特別の恵み、いつくしみの年なのです。
 教会はこのヨベルの年を教会の制度として受け継いで聖年の制度を取っています。50年毎でなくても、時に特別の聖年を定めることもあります。教皇様は今年をこの特別の聖年として定め、“いつくしみの特別聖年”とされました。旧約の民が神のいつくしみを自分たちの社会の制度として現実に実行したように、新約の民である私たちも生活の中で神のいつくしみを証しする行動を実際的にも霊的にも実行してゆかねばなりません。具体的には、世界中に殺害と恐怖とテロを撒き散らしているISの人々に神はいつくしみの神であることを示さねばなりません。6千万人に上る難民、国内避難民の人々を助けること、この日本社会で苦難にあっている人(東北大地震、原発事故、自然災害の被災者)に手を差し伸べること、4千万と言われる非正規雇用の人々を作り出している差別社会でよいのでしょうか。戦いではなく平和を実現する人は幸い、との御言葉を実行すること、などを私は思い浮かべています。私たちも、そしてみんなも神のいつくしみに抱かれて生きる、平和とゆるしの世界が実現しますように。                         
posted by カトリック明石教会 at 13:50| Comment(0) | 巻頭言