2016年03月03日

2016年3月号 『福音の喜び』を読む 4

『福音の喜び』を読む 4
                          
高橋 聡

 教皇様のキーワードの一つは「出向いていく」ということですが、ヨハネ・パウロ二世の言葉を引用しておられます。「教会の刷新はすべて宣教を目的とすべきです。教会的な内向性というものに陥らないために。」ここで、教会の刷新の目的がはっきりと示されています。「教会の刷新はすべて宣教を目的とすべきです」 キリストが「すべての人をわたしの弟子にしなさい」と言って、使徒たちを遣わされて以来、教会のこの目的は変わらず続いていると言っていいのでしょう。もちろん、新生計画も宣教を目的としているし、当然そうでなければならないということになるでしょう。
 そして、次のようにおっしゃいます。「小教区は時代遅れの構造ではありません。非常に柔軟性があるからこそ、司牧者や共同体が持つ開放性や宣教における創造性が求める、多様な形態を受け止めることができます。もちろん小教区は福音宣教の唯一の制度ではありませんが、たえず適応と刷新ができるならば、『社会のただ中に生きている』教会であり続けるでしょう。」驚くべきことに、教皇様は、小教区のことを、「非常に柔軟性がある」と言っているのです!ではなぜ、わたしたちの中でときどきある人たちは小教区を硬直化したものとしてとらえるのでしょうか? 「何も変わらない」と言って。 硬直化している司祭のせいでしょうか? 硬直化している、特に古い信徒のせいでしょうか…? しかしここでは誰かのせいにするという後ろ向きな話はしないことにします。誰かを裁くことでたぶんますます心の中でこの硬直化の温床が育っていくように思われるからです。
 「その実現には、小教区が家庭や人々の生活につながっていて、人々から離れた余計な組織や、自己中心的なエリート集団になってはいないことが前提となります。小教区は地域社会における教会の現存であり、みことばに耳を傾ける場であり、キリスト者としての生活の成長の場であり、対話、宣教、愛徳、礼拝、祭儀の場なのです。
そのすべての活動を通して小教区は、その構成員を励まし、福音宣教の担い手となるよう養成します。小教区は諸共同体のための共同体であり、渇いている者が歩き続けるために水を飲みにくる聖域であり、たえず宣教者を派遣する中心です。」と言われていますが、「しかし、小教区の見直しと刷新への呼びかけは、まだ十分に実を結んではいないことを認めなければなりません。」と付け加えられます。「それは、小教区が人々にとってより身近なものとなり、生きた交わりと参加の場となり、完全に宣教へと向かうものとする呼びかけです。」
 上記のことばに理想の小教区の姿が表れています。そして、聖霊はこのような小教区に向かうように、わたしたちの中で、励まし続けておられることも確かです。それで、わたしたちの中から、妨げが取り除かれますように、聖霊の、力と光、また、慰めを願っていければと思います。
posted by カトリック明石教会 at 15:46| Comment(0) | 巻頭言