2019年03月03日

2019年3月号  巻頭言

  
2019年3月 巻頭言
    
             
中川神父


「いやな ずるいやつら」ばかりが、のさばっていると『なめとこ山の熊』(宮沢賢治)は語ります。山に棲む熊たちは小十郎という漁師に撃たれ、小十郎は町で「金物屋の旦那」に、熊の肝や毛皮を「ほとんどだましとるような安値で買い上げ」られます。
そして「熊は小十郎にやられ、小十郎は旦那にやられる。旦那はみんなの中にいるから、なかなか熊に食われない。」いやなずるいやつらがのさばるのです。

  小十郎は、ある日、熊に食われてしまいます。印象的なのは熊たちが小十郎の死を悼み、彼の遺体を山の頂に安置し、その周りを囲み、いつまでも礼拝し続けるという物語の結びです。小十郎の死は狩猟の失敗でなく身代金です。「いやな ずるいやつら」の犯した罪を自らの死で贖うのです。「いやな ずるいやつら」は相変わらずのさばっているけれど、小十郎の犠牲で私たちは何とか、この理不尽な社会を生きれるのです。

 気づかぬ親切や犠牲がたくさんあります。親による私たちのための犠牲、いわゆる3Kと呼ばれる底辺の営みー。見えない多くのそうした犠牲で私たちは生活できるのです。十字架に架けられた神とはそういう方です。

posted by カトリック明石教会 at 12:04| Comment(0) | 巻頭言