2019年05月26日

2019年5月

                             
中川 明神父


「夢だったら、いいのにな」と呟き、男性は数日後に亡くなりました。
定年退職後、ガンが急速に進行したのです。
死の恐怖は私もありますが、よく見つめると、恐れだけでなく、深い悲しみがあるのに気づきます。「悲しい」とは「愛おしい」に通じ、何かが愛おしく悲しいのです。
一年ほど前、思いがけない人から電話がありました。長い患いの時を過ごしていて、その後の病床からの電話でした。数か月後に亡くなりましたが、今でも、よく、彼のその時のことが頭の中を流れます。30歳代、同じ夢を見て、よい時間を共に過ごした友で、夢は実現しなかったけれど、生き生きと過ごした時間は、かけがえのないものでした。彼の最後の言葉は、その「かけがえのない時」を思い出させ、それを味わい、そして、今、もう二度とそれを味わえないのが、悲しいのです。「夢だったら、いいのにな」との呟きは、男性が出会った人々との深い交わりへの愛おしさと、それを失う悲しみであったかもしれません。
神は、私たちを愛おしまれ、私たちの悲しみを掬い上げられると言います。この「よい方」の善さに委ねたいと思うのです。
posted by カトリック明石教会 at 16:54| Comment(0) | 巻頭言