2018年06月02日

2018年6月号 巻頭言

巻頭言
池長大司教



 私は先日3月20日(火)に金祝を迎えた。もう司祭に叙階されて50年が過ぎたのかと思う。高等学校の時から、司祭の仕事につくことが憧れであった。高校1年から2年に移る春休みに六甲学園で黙想会に参加した時に、全く瞬時の出来事として一生涯、司祭として生きることが決まってしまった。その時から現在まで、この瞬間の自分に起こった事が、人間業ではないことをはっきり理解している。
 それまで、独身で一生を送ることを毛嫌いしていた。まさにその事が、思いがけず一瞬にして、自分にふりかかったのである。それまで自分自身は自分のものであり、何でも自分で決められるものと思い込んでいた。その思いが一瞬にして打ち砕かれてしまったのである。神様は被造物界の全てをご自分のものと思っていらっしゃるようだ。この思いに逆らえるものは誰もいないことが、この事が起こった瞬間に思い知らされた。
 司祭に叙階されて以来、私は色々なところで、いろいろな司祭の仕事を与えられてきた。広島教区の祇園教会の助任司祭として働き始めてから、東京のイエズス会で神学院の副院長となり、次に広島のイエズス会修練院の副院長、そして、同じ修練院で修練長を8年間つとめ、1987年4月からはイエズス会の日本管区長として6年間働き、その次に東京教区の麹町教会の助任として2年半ほどつとめ、1995年12月21日に思いがけなく、大阪教区の協働大司教となり、1997年5月10日には、大阪教区管区の大司教に就任、それを辞任してからは、2014年10月から淡路島に住み、神戸の西ブロックで協力者として働き、2015年4月から現在まで、神戸西ブロックの共同宣教者として働いている。
 司祭への召命を感じた時から、小教区教会の神父として働くことを理想として憧れていたので、現在の淡路島の洲本教会の司祭として働くことが、最高の喜びである。
生涯の終わりまで、ここで働きたいと願っている。

posted by カトリック明石教会 at 12:07| Comment(0) | 巻頭言
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