2019年06月06日

2019年6月

はじめまして!

林和則神父


 復活祭後に神戸西ブロックに派遣されてまいりました、大阪教区司祭のヨゼフ林和則です。1999年3月に池長大司教様から、司祭叙階の恵みを受けました。
 生まれは東大阪市の布施です。私は20歳の時に玉造教会で、さかばやし神父様から洗礼を受けました。私が洗礼を志した最大の動機は私が在日朝鮮人の三世(現代は韓国籍です)として生まれたことでした。多感な青少年期にその出自に苦しみ、受け入れることができませんでした。私は日本人はもちろん、朝鮮人として生きることもできず、故郷を持たない根無し草のような疎外感に陥っていました。「私は何者なのか?」という問いに苦しみました。その時、さまざまな出来事、出会いを通して、モーセのように「私はある」という神に出会い、その神の中に私のアイデンティティを見い出すことができました。今では私は自分は「キリスト者」であると断言することができます。同時に自分の出自も受け入れることができました。すべては神が私をご自分のものとされるためのご計画であったのだということが実感でき、感謝しています。
 25歳の時に「司祭になりたい」という思いを頂きましたが、その時は教区ではなく、青少年教育を使徒職とするサレジオ会を志し、東京の調布市にあったサレジオ会の神学院に入りました。その後、志願期、修練期、哲学期、中間期、神学期と過ごしましたが、助祭になる寸前に進路に迷い、最終的に教区に移って助祭叙階を受け、1年間のフィリピン研修を経て、司祭叙階を受けました。いささか紆余曲折を経た神学生時代でしたが、私のような者が司祭になるためには、あれぐらいの時間が必要であったと思っています。またサレジオ会には心から感謝をしていて、サレジオ会を経て教区司祭になれたことも神のみ旨であったと感謝しています。
 そして今、神戸西ブロックに来て、垂水教会を担当することになりました。来て間もないですが、垂水は各委員会がそれぞれの役割をしっかりと果たしていて、講座も多く、信徒の方がたが熱心に信仰の道を歩まれている、すばらしい教会だという印象を受け、また「神に感謝!」です。
 よろしくお願いします。
posted by カトリック明石教会 at 21:35| Comment(0) | 巻頭言

2019年05月26日

2019年5月

                             
中川 明神父


「夢だったら、いいのにな」と呟き、男性は数日後に亡くなりました。
定年退職後、ガンが急速に進行したのです。
死の恐怖は私もありますが、よく見つめると、恐れだけでなく、深い悲しみがあるのに気づきます。「悲しい」とは「愛おしい」に通じ、何かが愛おしく悲しいのです。
一年ほど前、思いがけない人から電話がありました。長い患いの時を過ごしていて、その後の病床からの電話でした。数か月後に亡くなりましたが、今でも、よく、彼のその時のことが頭の中を流れます。30歳代、同じ夢を見て、よい時間を共に過ごした友で、夢は実現しなかったけれど、生き生きと過ごした時間は、かけがえのないものでした。彼の最後の言葉は、その「かけがえのない時」を思い出させ、それを味わい、そして、今、もう二度とそれを味わえないのが、悲しいのです。「夢だったら、いいのにな」との呟きは、男性が出会った人々との深い交わりへの愛おしさと、それを失う悲しみであったかもしれません。
神は、私たちを愛おしまれ、私たちの悲しみを掬い上げられると言います。この「よい方」の善さに委ねたいと思うのです。
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2019年04月08日

巻頭言

posted by カトリック明石教会 at 10:55| Comment(0) | 巻頭言