2017年07月01日

7月巻頭言

池長 潤大司教


 大阪教区には、60近い教会があるが、その中で、明石・垂水・北須磨と洲本の教会がブロックをつくり、共同宣教を行っている。最近まで、この4つの教会には、それぞれ1人の司祭が住んでいたが、1ヶ月程前に後藤神父様がブロックから移動してしまったので、今は3人で4つの教会を司牧している。このため、日曜日のミサは、どうしても、1人の司祭が2つの教会でミサをしなければならなくなった。そこで、今年の4月23日からは垂水教会が午前8時45分、北須磨教会が午前10時30分に主日ミサ時間が変更され、この2つを1人の神父がミサを受け持つことになった。
 洲本教会以外の3教会は、いずれも信徒数が同じ位で、大阪教区の中で、中堅の規模を備えている。主日には、だいたいどの教会も200人程がミサに与る。洲本教会はどうかというと、主日のミサに参加する人数は70人から80人位で、信者の席の70%位を占めている。ところが、この洲本教会の特徴は、日本人と外国人がほぼ同じ位の割合を占めることである。日本人は35人程で、ほぼ同数の外国人がミサに来る。外国人の中で一番多いのはフィリピン人である。淡路に住んでいるフィリピン人は、40人以上いるが、仕事が忙しいのでなかなか日曜日にゆとりがもてない。仕事は看護師さんが一番多く、全部で12人いる。他はバーで働いたり、日本人男性と結婚して畑仕事をしている。
 フィリピン人以外はブラジル・ナイジェリア・ベトナム・韓国などの人達である。フィリピン人以外は、英語が通じないし、日本語もほとんどできないので、コミュニケーションがむつかしい。でも片言で話し合って、誰とでも交わり、皆仲良くしている。教会はとてもいい雰囲気であるのはうれしいことだ。
 私は80才になって、この教会に来られて本当によかったと思う。むつかしい人が1人もおらず、皆いい人たちだ。司祭としての人生の最後まで、ここで働きたいと本心から思っている。ブロックの他の教会も好きだが、今住んでいる淡路島の洲本教会で暮らすのは最高だと思っている。
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2017年06月03日

2017年6月号 「2017年6月に想う事。」

「2017年6月に想う事。」

                      
ブロック担当司祭 申 繁時


神戸西ブロックに派遣されて4月から2年目になります。2年目にして早くも人事があり協力司祭でした後藤神父さまが移動になりました。現在ブロック4小教区を3司祭で主日ミサを中心に司牧活動を行うことになりました。今年はいろんな工夫を考えて行かないといけないのかもしれません。
そこで、いま想うことを味わってみたいと思います。司祭になって丸10年が経ちました。
ほんとうに早いなと感じます。この10年を想うと、それは時間が経つことと共に時代の変化にも共通するものがあるように思います。それは、まわりのいろんなことの変化、便利さを求める世界があり、人もそれに当たり前のようについていくようになるところがあります。決してそのことは悪くはないと感じますが、それがすべてではないようにも感じます。その間(はざま)にはなにがあるのか。

ほんとうに大切なこと(もの)は、時間や時代を超えても変わらないものではないかと感じます。教会生活はその点において、その答えをつかんでいるように思います。
時間が経ち、時代が変わっても、必ず神さまが答えてくれることです。またそのことを信じて良いことです。どんなに困難で苦しいことがあっても、信じることによって神さまが答えてくれることです。
最初に言いました人事の変化も、簡単には解決できないことではないでしょうか。教会自身も、司祭の不足、司祭信徒の高齢化、若者不在、教会建物の老朽化、などなど、いろんな問題を抱えています。そこに希望をもっていないことではありませんが、不安材料には感じます。神さまにこころから祈り、その不安材料をひとつひとつ解決していくことが中心になりますが、反面解決策は簡単には見つからないことも理解します。具体的にどうすればよいのか?

目の前の現実をひとつひとつかみしめていくこと。受け入れること。できることを考えてみること。そして実際にやってみること。失敗したら顧みる(次につながる反省のこと)こと。皆さんがこれまで歩んで来られた人生と同じで、確実かつ確かな方法なのです。
この体験と経験こそが、神さまからいただいた知恵ではないでしょうか。
いまこそその知恵をだしあって協力することがまずは最善かもしれません。
では、あらためてその最初にすることはなにか!?

それは、積極的になることです。苦しくて困難であっても、神さまを信じて、積極的になってみることです。しかし、無理をすることではなく、自然に積極的になることです。
このことが、教会が言っている「こころをひらく」ということなのですから。確かに簡単に自然に積極的になることは矛盾していることと感じるでしょう。しかし、「こころをひらく」とき、あとは神さまが働いてくださいます。
聖書には、こんな出来事がありました。
集まった5000人を数人の弟子たちに食べさせなさい、とイエスさまが言います。弟子たちは当然不可能と考えていました。「2匹の魚と5つのパン」のお話しです。しかし、イエスさまは祈り弟子たちに協力することを促すと、5000人は満腹し、まだたくさん食べ物が余るほどの出来事を体験したのです。
それは疑わず信じて協力した、自然に積極的にこころをひらいた弟子たちの体験です。・・・

神戸西ブロック2年目ですが、お互いに協力しながら歩んでいきましょう。
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2017年05月06日

『福音の喜び』を読む 10 橋 聡

 つぎに、社会風潮などの文化的な危機について考察が続けられていきます。まず迫害、弾圧です。「場合によっては、その課題は、信教の自由に対する公然たる攻撃や、キリスト者に対する新しいかたちでの迫害として現れます。それらが、憎悪や暴力という警戒すべき段階にまで達している国もあります。」あるいは無関心が広がっているという危機です。「各人が自分の主観的な真理だけを主張したがるような文化では、市民が個人の利益と願望を乗り越えて、共通の目標に参加することが難しくなるのです」。
 社会的なレベルでは、私たちはみんなの善、善益ということをいつも念頭に置いておかなければならないと教会の社会教説では言われています。そしてそれは主観的な真理の主張、うそを並べ立ててあたかもそれが真実であるかのように作り上げていく情報操作などの上には築き上げることができないことは明らかです。ある程度の客観的真実がマスメディアなどで取り上げられることによってはじめて、みんなが共通の認識で話し合うことが可能となるのだと思われます。正義の土台として、真理、真実が追及されなければならないはずなのです。わたしたちの国でも報道の自由度のランキングがかなり下がってきているそうです。これが国民の多くに一抹の不安を感じさせるものになっています。迫害、弾圧への前奏曲にならないようにと願わずにはいられません。
 こけらのマスメディアの影響について、アフリカの司教団やアジアの司教団の文書を引用しながら、こうも指摘されています。「多くの国が、経済的には発展しつつも倫理面は弱くなっている他の文化の風潮によって侵略され、自国文化の根源が加速度的に傷つけられています。…このことは、しばしば社会的コミュニケーションの分野にも当てはまり、この分野を管理し、コントロールする『センター』の大半が北半球に置かれているために、発展途上国の抱える問題や優先すべき問題に相応の、きめ細かい配慮を欠くという事態が生まれ、また彼らの文化的特質を十分に尊重するという態度が時に忘れられることとなっています。…マスメディアとエンターテインメントの負の側面が現れ、伝統的な価値観が脅かされているのです」。
posted by カトリック明石教会 at 10:45| Comment(0) | 巻頭言