2018年05月07日

2018年5月 2018年5月に想うこと

2018年5月に想うこと

                         
担当司祭 申 繁時

2018年4月1日のご復活から、私たちは「復活節」の歩みを進めています。
「聖霊降臨の祭日」(今年は5月20日)までの歩みです。50日間あります。
そして、この復活節は新しく洗礼を受けられた方々にとっても大切な時です。その役割は、代父母さんにも重要な役割があります。それは、今年であれば洗礼を受けられた方々を毎週エスコートしてあげること。隣に座ること。また、各小教区共同体は聖堂に場所を設けてあげて、フォローしてあげることを必要とするのです。
はっきり言って司牧者の私自身も完全にそのことは抜けていたと反省します。なぜならば、洗礼を受けるまでは、事細かく用意と準備をさせてもらいますが、洗礼式が終わると次の週からは自由に。という状態を続けてきたように感じるからです。と同時に、洗礼式が卒業式のように、教会に来なくなる状態が見え隠れしていることも、今の教会の現状かと感じてしまいます。
なので、洗礼式後も少なくとも聖霊降臨までは、共同体が受洗者方を見守ることが大切なことであり、教会離れを防ぐためにも温かい見守りが必要ではないでしょうか。もちろん、聖霊降臨までではありません。生涯の生まれ故郷としての教会共同体ですので、つながりを持ち続けることが重要です。

実は、私自身も洗礼式が卒業式だった信者でした。洗礼を受けたあと半年以上主日ミサに行きませんでした。(告白いたします・・・)
洗礼の意味をまだ深く味わっていなかったときで、神さまの水の清めをいただいたので、もう大丈夫と勘違いして主日ミサに行かなかったのです。半年後気になってこっそり、主日ミサに隠れるようにあずかりましたら、洗礼を授けてくださった当時の主任神父さんに見つかり、こっぴどく叱られました。
「あなたは何を考えているのか!」「あなたのような信者ばかりだ!!」と。
信者の代表のように叱られました。(懐かしい思い出です?)
それからは、主日ミサにあずかれるように準備をしました。しかし、私が教会に行くことが好きになったのは、神さまへの信仰はもちろんですが、教会共同体の皆さんの心遣いでした。小さな教会でしたが、日曜日は楽しくさせていただき、親戚のおじさんとおばさんに毎週会える雰囲気があったからです。
そして、将来その劣等生信者?がとうとう神父までなったのですから。・・・
どうか、教会共同体のみなさん、代父母のみなさん、もう一度この復活節の間、神さまの大きな恵みをいただいて教会から離れている兄弟姉妹のために祈ってください。もし可能であれば連絡してあげてください。「元気?」の一言でいいので。必ずもう一度、教会に一緒に集う時がくるはずです。
posted by カトリック明石教会 at 12:25| Comment(0) | 巻頭言

2018年04月04日

2018年4月号「主のご復活おめでとうございます」

主のご復活おめでとうございます


高橋 聡


 久しぶりに(実は初めてのことかもしれませんが)連載物をやめて皆さんにオリジナルの巻頭言をお届けしようと思いました。ちょうどご復活祭にあたりましたので。
 わたくしは、この神戸西ブロックに来て五年目に入りました。最初の一年は協力司祭の立場で、ゆっくりやらせていただいていましたが、あれよあれよという間にたいへん忙しい日々を過ごすことになってしまいました。それでも以前の状態を考えると、現在体調を崩すことなく務めさせていただいているのは神様のお恵みではないかと喜んでいます。しかし司祭不足が解消されない限り忙しさは続いていくのでしょう。皆さんどうぞ司祭召命のためお祈りよろしくお願いいたします。
 復活節中に世界召命祈願の日が定められています。復活節第四主日にあたります。この日の朗読はいつも、良い羊飼いと羊のたとえが出てきます。
 復活された主が今も私たちを導いてくださっています。そしてそれは教会を通して行われます。教会は主のご復活の証人だからです。「私たちは神の民、その牧場の羊」。神の民である教会は神のもので、神がそれを治め導いておられます。復活の季節は特にそのことを私たちに思い起こさせてくれます。
 教会は人間の計画・企画で成り立っているものではありませんね。何かしらいろんな出来事が起こって思いもよらない方向に導かれていっていますね。特に近年は、しかし、信者自身の思い描いている教会にならず、自分の思いが置き去りにされているかのような不本意な気持ちになっている可能性もありますね。それでも、試練においても喜びにおいても教会を動かし司っておられるのは神であり、そのみ手の中に私たちはいるのだという信仰を持ち続けたいものだと思います。嵐の中にあってもペトロの舟にイエズス・キリストは共に乗り込んでおられます。
 主のご復活によって、また私たちの希望が新たにされますように願って、神戸西ブロックの新年度を始めていきましょう。
 ご復活されて教会を導いておられる主に私たちはさらに信頼していきましょう。直面している問題がいろいろあってもその背後に愛のまなざしを注いでくださっている復活した方を見ることができますように。
posted by カトリック明石教会 at 11:36| Comment(0) | 巻頭言

2018年03月03日

2018年3月号「2018年3月に想うこと。」

「2018年3月に想うこと。」
                          
担当司祭 申 繁時

2018年、私たち神戸西ブロックの教会共同体において、2月14日の灰の水曜日から始まり四旬節の歩みを進めながら、ご復活(今年は4月1日になります)に向けて準備しています。もちろん、毎年のこととして四旬節、そしてご復活を祝うための準備はしてきたことではあります。しかし、もう一度ふり返り顧みていただけるなら、私たち一人ひとりの信仰生活が、イエスさまのご復活と密接に関係しているかを実感できるのです。
その最も大切なことは、イエスさまのご復活の前には「十字架」があったことです。
そして、その「十字架は、神さまの恵み」であったことです。
(もちろん、イエスさまの十字架は特別な全人類の救いのことです)
ところが、各個人においての十字架は、簡単には割り切れません。
むしろ恵みどころか「苦しみ、苦痛、困難、不安、迷い」などの感覚と感じているのです。
なので、十字架をいかにして避けて生きるかを求めることになるのです。

ところで、みなさんのこれまでの人生体験はどうでしょうか。十字架を感じたことはありませんか。たぶん誰でも必ず十字架の経験と体験は一つ二つ、またそれ以上にあったと思います。(もちろん、一つもない方がいることも考えられます)
そして、十字架にかけられたことを思い起こすならば、こういうはずです。
 「もうあの十字架はいやだ!」
 「どうして私がこんな十字架にかからないといけないのか!」
 「二度と同じことは繰り返さない!」
そして、ところが結果。
「あれほどの十字架を感じたのに何とかなった!?」
「あれほど苦しんだのに今はしあわせです!?」
そして、心は変化(回心)して。
「私の十字架の経験、体験を誰かの役にたてたい!!」
「誰か苦しんでいる方を助けたい!!」
と変わっていくはずです。つまり、ここに「神さまのいやしと心からの幸せ」を体験する「復活の体験」が必ずやってきます。・・・

いままさに、今年も新たな「十字架」にかけられていることがあるのかもしれません。
しかし、その先には「必ず復活させてくださる」神さまはいます。
突然、いきなり、復活はありません。むしろ、苦しみと困難を感じれば感じるほど、
私たちの神さまは、ご復活の体験を用意していることがわかるのです。
決してあきらめずに、ご自身が信頼している神さま、イエスさまに希望をおくならば
必ず復活がまっています。(2018年3月に想うことです。)
posted by カトリック明石教会 at 12:14| Comment(0) | 巻頭言